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2017夏①/大徳寺・今宮神社 [京都散策]

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夏期の講義を受けに京都にしばらく行っていました。
それでブログ更新から遠ざかっていましたが、授業の合間の散策を報告します。
講義開始の前日、講義の教室を確認するため登校しました。
ついでに大徳寺あたりを散策します。
大学から北大路通を東に向かって歩くと、ほどなく大徳寺です。
通りから入ると写真のように塔頭の塀で区画された参道が続いていました。
禅宗の寺らしく、森閑とした空間が広がっています。
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三門、金毛閣です。
鎌倉時代創建のお寺ですが、応仁の乱で荒廃しました。
復興に尽力したのは、皆さまご存知の一休和尚です。
その後、秀吉がここで信長の葬儀営みます。
その縁で寺領の寄進を受け、各大名も塔頭を造るなど織豊期に興隆を迎えます。
金毛閣は千利休が二階部分を増築しています。
その際、利休は自らの像を二階部分に安置したことから秀吉の怒りを買います。
これが、利休の切腹につながったという話を聞いたことがありませんか。
二階部分の扉は固く閉じられ、利休像の有無は確認できませんでした。
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三門について、司馬遼太郎の感想があります。
私も同様の感想を持ちましたので、すこし引用します。
『大徳寺の三門〈山門〉はまことに雄大である。しかもあかあかと丹塗なのである。このことは、宗風の枯淡とはひどく印象がちがうため、ひとびとをとまどわせる。・・・このように、おそるべき楼門を建てた人が、わび茶の完成者である千利休であったことにおどろかされる。この門をみれば、利休についての印象までが混乱させられる。』(司馬遼太郎「大徳寺散歩」街道をゆく34)
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境内には数多くの塔頭があります。
信長の菩提を弔う総見院、石田三成の墓所がある三玄院、前田利家の妻ゆかりの芳春院など盛りだくさんです。
しかし多くの塔頭が非公開となっています。
『もし二十余の塔頭が競って観光客を呼び入れるようなことがあれば、その日のうちに大徳寺の禅風はほろびてしまう』(司馬遼太郎「大徳寺散歩」)
公開されている塔頭は4つほどです。司馬はそのていどが程良いとも言っています。
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大仙院は公開されている塔頭の一つです。
沢庵が40代に住したこともあるといわれる塔頭です。
せっかくですので、枯山水の庭園を拝見してきました。
縁に座って庭を拝観していると、やがて汗も引き気分が落ち着いてきます。
そして突然、お腹がグゥーと鳴りました。
解脱には程遠い人間です。
撮影禁止となっていましたので、写真で紹介できないのは残念ですが。
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大徳寺の北には今宮神社があります。
そして今宮神社といえば「あぶり餅」ですね。
今は、お店の縁台に腰掛け一息ついています。
お腹がグゥーへの対処をしているところです。
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「すみません、もう一皿ください。」
一皿500円です。
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もちろん、このあと神社にはお参りをしてきました。
街道をゆく 34 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち (朝日文庫)

街道をゆく 34 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2009/04/07
  • メディア: 文庫
【追記】一休の漢詩集「狂雲集」を読んでみなくてはと思っています。臨済宗大徳寺派では読むことが禁止されていたという詩集です。漢文の素養が必要らしいですが、一度チャレンジしてみます。

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