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2017夏②/千本釈迦堂から北野天満宮へ [京都散策]

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千本通りは大学への通学路にあたります。
京都駅前のバスターミナルを出る206番のバスは大宮通、後院通りを経由して千本通りを北上します。
千本通りが北大路と交差する先に大学があります。
その手前、千本今出川でバスを降りて、五辻通りを西に入ると千本釈迦堂があります。
日差しが暑いなかですが、寄ってみました。
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千本釈迦堂は寺名を大法恩寺と言います。
創建は承久の乱と同じ1221年です。
本堂の上棟は1229年の鎌倉時代の建物ですが、これが現在残る洛中最古の建物です。
実は京都の原点平安京に存在した建物は残っていないということになります。
平安京の内裏も、釈迦堂建造の年1229年に焼け、その後再建されることはありませんでした。
千本釈迦堂は応仁の乱の兵火も免れ、現在に伝わる貴重な建造物というわけであります。
応仁の乱時の刀傷、矢傷が本堂の柱に残っていました。
なだらかな曲線を描く本堂の屋根勾配、本堂前面の蔀戸に優雅さを感じませんか。
そうです、この本堂は平安の面影を残す寝殿造りなのです。
この姿と比較しますと、東西本願寺の堂宇、知恩院の堂宇の姿が猛々しく思われます。
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千本釈迦堂からさらに西に向かうと北野天満宮があります。
境内には七夕飾りが見られました。
願い事を覗いてみましたが、なんで学問の神様なのでしょうか。
道真の神号「天満大自在天神」は、火雷神であり、怨霊の神だと思うのですが。
中世以降の起請文の始まりとされる御成敗式目に附属する鎌倉幕府の評定衆による起請には、
梵天帝釈天から始まる神々の名の最後に「天満大自在天神」が記され、
約束違反の折には神罰を被ることの覚悟が表明されています。
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北野天満宮に寄った目的は、秀吉が天正19年(1591年)に築造した御土居跡を見物するためです。
遺構は境内の西に残っていました。
この場所では土居下に紙屋川が流れ、要害の雰囲気があふれていました。
京の町を囲む総延長22.5㎞の御土居を秀吉は3か月で完成させたといいます。
信じられますか。
神社境内と違って人影もなく、木陰も多い一画となっていました。
ここで汗のひくまで、一休みしました。
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北野名物一本うどんの「たわらや」です。
小腹が空いたので、ここでうどんをいただきました。
一本うどんは食べにくそうなので、普通のうどんを注文しました。
柔らかい麺と透き通った出汁の関西のうどんが好物です。
讃岐うどんも嫌いではありませんが、京うどん、博多うどんに軍配を挙げます。
どうでも、いいことですが。
京都〈千年の都〉の歴史 (岩波新書)

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  • 作者: 高橋 昌明
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/09/20
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この本の序に千本釈迦堂が出てきます。著者曰く「この寺の姿・形・雰囲気が好きだ。」
私もそう思います。

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