伊賀上野を歩く [小旅行]
伊賀上野城下の入り口、鍵屋の辻にある道標です。
右伊勢道、左奈良道と刻まれています。
大和街道は、東海道の関宿から分岐し、伊賀盆地を経て奈良そして京、大阪につながります。
またここから伊勢にもつながっていたことも道標で分かります。
壬申の乱では大海皇子がここを通り、源義経が京の木曽義仲を討つ際にもここを経過しました。
伊賀盆地は戦略的要地であった訳ですね。
関ケ原の戦後、彦根と伊賀上野をともに重視することが家康の戦略でした。
司馬遼太郎の文章を引用します。
『徳川家康が大阪城の豊臣秀頼を攻める計画をたてたとき、万一敗北した場合の手当てもしておいた。その場合、嫡子の秀忠を近江彦根城まで後退させ、自分はこの伊賀上野城に後退して、攻撃再開の準備をするつもりだった。』(街道をゆく7「甲賀と伊賀のみち」)
先日は彦根城を見たので、伊賀上野を訪問しないのは片手落ちと思いたち、伊賀上野に来ています。
彦根散歩 [小旅行]
東海道本線で彦根まで出かけました。
大垣を過ぎると列車は関ケ原に近づきます。
大垣あたりでは土砂降りの雨でしたが、関ケ原駅では雨が上がっていました。
関ケ原、思ったより広くない。
新幹線で通り過ぎる時はあまり気にならないのですが、
東西合わせて十数万の軍勢が、戦ったローケーションとしては狭いのではないか。
・・・と、ホームに停車した電車の窓から眺めました。
写真は関ケ原合戦図屏風です。
赤備えの井伊直政の軍勢が見られます。
井伊の軍勢が前進し、西軍の宇喜多隊に鉄砲を撃ちかけ戦が始まりました。
前夜降り続いた雨が上がり、ようやく霧が晴れたとき、9月15日午前8時頃といいます。
私の乗った列車は関ケ原駅を8時26分に発車しました。
窓の外に鬨の声が聞こえたのは気のせいでしょうか。