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2017夏④/京都駅周辺で夕食 [京都散策]

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講義が終わって、駅前まで戻ってきました。
「今日の夕飯はどうしようか」と駅周辺をうろついています。
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お店を探して歩いているうちに、東本願寺の前まで来てしまいました。
黒々と起立する御影堂門を見上げています。
東本願寺は火災で良く焼けていますね。
最初は天明8年(1788)の京都大火です。
鴨川の東で発した火災は、川を越えて洛中へ広がりました。
「下の方猛火の西へ走り飛びて、迅疾(じんしつ)目ざましく、東本願寺を始、大廈を包焼事一瞬の間にして」と元京都町奉行所与力・神沢杜口がその著書「翁草」に記載しています。
その次は、元治元年(1864)禁門の変の兵火によって焼けています。
東本願寺の南の東塩小路村の庄屋・若山要助の日記では、
「ここにて火防がんと、・・・銘々丸太或は農道具を携え、我々に火を防ぎ候らえども」と奮闘していますが、ついには「六条御殿に火移り候につき、・・・七條の南にて又候打ち砕き候へども、大堂に火移り候につき」と書かれています。
文中の「大堂」が東本願寺の伽藍を指すと思われます。
ここからそんなに離れていない西本願寺が近世初期の建物飛雲閣などを残し現在に至っていることと比べると、苦難の道のりであったと言えるでしょう。
そろそろ、空腹も極限です。
早く夕食を食べる先を決めないと、私も「苦難の道のり」をたどることになりそうです。
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幕末の若松要助が庄屋を務めた東塩小路村はこのあたりでしょうか。
行列のできるラーメン店・第一旭があります。
並んで新福菜館も有名店です。両店の行列がごっちゃになっていました。
列の多少短い新福菜館に並びました。
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新福菜館のラーメンです。
スープの色が濃いですが、見た目よりあっさりとしていました。
妙齢のお嬢様と相席でした。
お嬢様はビールなぞをあおりつつ、ラーメンを啜っておられました。
老齢の私は、明日の授業の予習があるので、ラーメンのみの注文で我慢しました。
ということで写真のどんぶりの向こうに見えているビールグラスはお嬢様のグラスです。
私のではありません。
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第一旭と新福菜館から道路を隔てて「山本まんぼ」があります。
ベタ焼きのお店です。
ベタ焼きは、お好み焼きのことです。
哲学者鷲田清一の『京都の平熱』は「哲学者の都市案内」との副題があるユニークな京都の案内書です。
京都の外周を巡回する市バス206番に乗って、沿線の案内をしてゆく構成の本ですが・・・、
駅前から、なかなかバスに乗らないのです。
冒頭から、延々とラーメンとベタ焼きのうんちくが始まります。
これだけでもユニークですね。
第一旭も新福菜館も山本まんぼも、ここで紹介されています。
ちなみに三店とも、めでたく制覇済みです。
第一旭は、いつでも長蛇の列なので、ある日、意を決して朝5時半に並び、やっとラーメンを食べることが出来ました。(午前5時から営業しています)
自慢するほどのことではないのではと思いますが、努力したことだけは理解してほしいと思い、あえてここに記します。
京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)

京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)

  • 作者: 鷲田 清一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/04/11
  • メディア: 文庫

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