大垣城そして朝日屋 [小旅行]
大垣城です。
西美濃の大垣を散策してきました。
ここは、江戸時代を通じて、戸田氏10万石の城下町でした。
ですから城下町らしい佇まいを残している都市です。
駅を降り立ち、その雰囲気に甲府の街並みを思い浮かべました。
大垣は人口16万人弱、甲府は19万人。
都市の規模としては似通っているのかもしれません。
大垣は人口16万人弱、甲府は19万人。
都市の規模としては似通っているのかもしれません。
特徴をいえば、水の豊富な町です。
別名を「水都」(スイト)とも言います。
別名を「水都」(スイト)とも言います。
関ケ原の合戦では、本戦前の西軍の拠点となっています。
旧参謀本部編修日本の戦史「関ケ原の役」では、
旧参謀本部編修日本の戦史「関ケ原の役」では、
「石田三成は8月1日、大垣に出ると、まず岐阜・犬山と同盟を結んで、濃尾地方の諸城のうち、まだ西軍についていない者を脅かし、伊勢路の経略を一任した、宇喜多・毛利の兵の到着を待って、清州以東に進もうと考えていたようである。」と、
西軍想定の主戦場を尾張としています。
現実には、岐阜城が一日で落城し、岐阜から西に進出してきた東軍は、
大垣の北西の北西、金生山山麓に陣取ります。
以後、大垣城の西軍と東軍とにらみ合いが20日以上続いています。
写真は、大垣城天守閣内にあるジオラマ、杭瀬川の闘いの様子です。
大垣城の西を流れる杭瀬川を挟んで、
東軍、西軍の闘いがあったのは関ケ原本戦の前日、9月14日の事でした。
この戦は、西軍の勝ちだったようです。
この日夕刻、東軍は、大垣城を無視して西に向かいます。
それを知った西軍は先ほどの南宮山の南を迂回して、
この日夕刻、東軍は、大垣城を無視して西に向かいます。
それを知った西軍は先ほどの南宮山の南を迂回して、
東軍に先回りして関ケ原に布陣、9月15日の関ケ原の戦いとなりました。
結果、西軍は敗北しましたが、大垣城はその後1週間、戦いつづけました。
大垣城に籠った石田三成の家臣の娘の物語「おあむ物語」には、
敵の首に化粧をする鬼気迫る話が載っていますね。
舞台は先ほどの大垣城の天守閣です。
舞台は先ほどの大垣城の天守閣です。
話は、急展開します。
そうこうしているうちに、お腹が空きました。
なんの変哲もない食堂ですが、朝日屋へ向かいます。
大垣には、かつて2年間ほど勤務しました。
20年ほど前のことですが、その頃、よく通ったお店です。
いまだ健在でした。
ここの「中華そば」が、絶品なのです。
20年ほど前のことですが、その頃、よく通ったお店です。
いまだ健在でした。
ここの「中華そば」が、絶品なのです。
久しぶりに、堪能しました。
大垣を訪ねる機会があれば、是非味わっていただきたいと思います。
大垣を訪ねる機会があれば、是非味わっていただきたいと思います。
これを超える中華そばは、そんなには無いと思います。
その後、岐阜まで移動して、
この日2回目のお昼は、ここ大田屋本店です。
店構えが、昭和初期の香りで良いと思いませんか。
店内の風情もよかったです。
店構えが、昭和初期の香りで良いと思いませんか。
店内の風情もよかったです。
それで、食べたものは「天ぷら中華」です。
えっと思われるかもしれませんが、岐阜では普通かもしれません。
詳細は、ここをクリック[→]天ぷら中華
詳細は、ここをクリック[→]天ぷら中華
天ぷらうどん、天ぷらそばがあれば、
天ぷら中華があっても全然おかしくないと思いませんか。
ちなみに、この店のメニューを見ると、
「天ぷら入り親子丼」、「天ぷら入り玉子丼」というのもありました。
もちろん、普通の天丼以上の値段でしたが、天ぷら中華が480円でしたので・・・
「天ぷら入り親子丼」、「天ぷら入り玉子丼」というのもありました。
もちろん、普通の天丼以上の値段でしたが、天ぷら中華が480円でしたので・・・
十分チャレンジ可能と思います。
2017-06-11 22:19
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いいお城ですね。信長殿にあやかりたいです。
天ぷら中華は、意外でしたが、美味しそうで魅かれました。
by 悪源太 (2017-06-24 12:06)
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