天王祭 [名古屋散策]
出来町の山車です。
太平洋戦争の空襲を潜り抜けた江戸時代からの山車です。
出来町の名前が気に入っています。
出来町には古出来町と新出来町がありますが、
角川日本地名大辞典の「古出来町」の項を引くと、
『城下の東辺に発生し、初めは古町屋と称した。』と紹介されています。
名古屋は、ご存知のように徳川家康によって計画的につくられた城下町です。
慶長15年(1610年)から19年にかけての、
「清州越し」と呼ばれる清州からの大移動で成立しました。
お城から寺社・町屋まで移転させ、碁盤目状に区画された地に配置した計画都市です。
お城から寺社・町屋まで移転させ、碁盤目状に区画された地に配置した計画都市です。
出来町は、清州越しの町ではなく、その後の発展で出来た町です。
辞典の解説文「城下の東辺に発生し・・・」が、計画者の想定外感を暗示しています。
予想外ですが出来ちゃった町で、出来町。
しかも、どんどん出来ちゃって、古出来町、新出来町があります。
このストレート感が素晴らしいと思いませんか。
このストレート感が素晴らしいと思いませんか。
こちらは、筒井町の山車です。
文政元年(1818年)頃の制作と伝えられる山車です。
重量は5トン程度、それに歴史の重み加わり、
交差点での方向転換では、冒頭の画像のような仕儀となります。
山車が上手く回れば、見物人から拍手が沸きます。
祭り最終日の徳川園(尾張藩下屋敷跡)での「山車揃え」が見どころです。
出来町・筒井町の山車がここに揃って、パフォーマンスを繰り広げます。
出来町・筒井町の山車がここに揃って、パフォーマンスを繰り広げます。
愛知県郷土資料刊行会の「東区の歴史」では、
『おはやしは、小学校4・5・6年生の男子が練習して出るが、人数が減ったので女子を入れなければならない実情である。』
と嘆いていますが、私は一向に気になりません。
ぜんぜん・・・。
写真で、演者の膝にかけた半纏に木瓜紋が描かれています。
木瓜紋が織田家の家紋として知られていますが、津島神社の紋でもあります。
というか信長の織田家は津島が本拠地でありましたから、つながりがあるのでしょう。
というか信長の織田家は津島が本拠地でありましたから、つながりがあるのでしょう。
余談ですが。
2017-06-04 21:42
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